日本一になるということ

一度だけ、記憶力競技を辞めようと思ったことがある。

 

2018年2月4日、奈良の記憶力日本選手権大会が終わった瞬間だ。

 

あの日の前と後で、自分は明らかに変わった。競技に対するスタンスも、選手としてのレベルも、立場も、全部変わった。

先日JMLCという一種の日本大会が終わり、最近普及も軌道に乗り始めてきたので、ここで一度整理しておこうと思ってこの記事を書いている。内容もただ独り言ちているだけなので、敬体じゃなくて常体で書くし、太字や赤字も使わない。見出しもない。そして多分長い文章になる。

今のところ「競技をなぜ始めたのか」や「競技との向き合い方がどう変わってきたか」「今何を思っているか」などを書こうと思っているが、書き始めているうちに全く違う方向に行くかもしれない。ただ、「日本一になるということ」については確実に書こうと思っているので、興味がある方はお読みいただきたい。

 

 

 

僕が競技を始めたのは、大学受験が終わった3月だった。2016年の3月。本格的にスタートしたのはその年の6月頃だったから、今は競技歴2年半になる。

始めたきっかけはいくつかある。

元々NHKの「ワンダーワンダー」という番組で記憶力競技が取り上げられていたのを見ていてなんとなくは知っていた。BSで放送されていたスウェーデンチームのドキュメンタリーも見ていた。今見返すと知り合いがたくさんでていて面白い。

どうしてこういった番組をそもそも見ていたかというと、頭脳スポーツ全般に興味があったからだ。テレビ欄に「記憶力競技」って書いてあるのを見て、興味があって見ていたんだと思う。

ただ番組を見ていたときは中高生で、部活が忙しかったし、大学受験もあったし、学園生活をそれなりに謳歌していたので、「面白そうだなぁ」とは思ったけど、「やってみようかなぁ」とは微塵も思わなかった。

でもとりあえず頭の片隅に「記憶力競技ってのがあるらしい」という情報はストックされていた。

 

無事に大学受験が終わって、暇で暇で仕方なく、希望に満ち溢れた3月がやってきた。

前期試験が終わって、クイズ研究会だった僕はクイズがやりたくてたまらず、学校で友達とクイズをやっていた。そのくらいクイズが好きだったし、大学でも続けようと思っていた。高校生の時は高校生クイズでテレビには出たものの、競技クイズという点では全然弱く、中高生の大会で毎回準々決勝止まりくらいの実力だった。

大学生になったらもっとクイズに力を入れて、トッププレイヤーになろうと決めていた。

 

そんな3月、高校の卒業パーティーがあった。自分の通っていた中高はとても素敵で、大好きで、素晴らしい友達がたくさんいた。そこで色んな友達と話しているうちに、「みんなすげぇなぁ」と思うようになった。そして「将来日本一になってこいつらと肩を並べる存在になろう」と思った。なぜだかこの時の気持ちはよく覚えている。それだけ印象に残ったんだと思う。

その時は「クイズで日本一になって頭脳王に出てやる」って思っていた。

 

さぁそんなとき、受験生時代から散々お世話になっていた地元の図書館でたまたま1冊の本を見つけた。「ごく平凡な記憶力の私が1年で全米記憶力チャンピオンになれた理由」というジョシュア・フォアが書いた本だ。

もちろん暇だったので借りた。読んだ。この時、「記憶力競技」という存在を思い出した。

そして、この本に出てくる記憶術を使って大量のモノを記憶できるようになったら、クイズで無双できるんじゃないかと考えた。歴史の年号やノーベル賞受賞者など片っ端から知識を記憶していけば、クイズで大活躍できるはずだ。そう思って、読後すぐに、「記憶力競技 やり方」で検索した。ここで奇跡が起きた。

 

1つの記事がヒットした。3月末に、なんとこの本を借りた図書館のイベントスペースで、記憶力競技の体験教室があるという。しかも日本チャンピオンが直々に教えてくれるときた。こんなチャンスなかなかない。すぐに申し込んだ。

 

体験教室に行った。周囲からは「怪しそうだから気を付けなよ」と言われていた。本を読んでいて記憶術は怪しいものではないと分かっていたから「はいはい」と受け流した。そうは言うものの少しは怖くて、合わないと思ったらすぐ帰ろうと決めていた。

 

そして、衝撃を受けた。記憶術ってこんなに簡単で、それでいて奥が深くて、効果が絶大で、それを競う競技がこんなにも楽しいだなんて。しかも、想像力が必要なところや、複数の種目の合計点で競うところが、完全に自分に向いていると感じた。

興奮して帰った。新しいものを知ってここまで興奮したのは、中学生の時に初めて高校生オープン(全国規模のクイズ大会)に参加した時以来だった。

 

しかし、当時は続ける時間も環境もほとんどなかった。大学入学直後は文化祭やらサークルやらで色々忙しかったし、もちろんクイズを続けていたのでそこに尽力していた。環境についても、記憶力競技は今よりさらにマイナーで、チャンピオン以外に日本人プレイヤーがほぼおらず、ライバルも皆無だった。当然練習する場所というかコミュニティもなかった。唯一、体験教室の続きが月に1回ほどあったのが救いで、そこに通っていた。この環境を提供してもらえたのは非常に感謝している。

1か月に1回練習に行くが、正直ほとんどそれ以外の日に練習はしていなかった。面白かったけど、まだクイズの方が面白かったし、それ以上に大学が楽しかった。

 

6月頃、大分意識が変わってきた。細々と続けているうちに、思ったよりもさらに記憶力競技が面白いことが分かってきた。この頃には5分で52枚のカードを覚えられるようになっていて、成長スピードが自分としても楽しかったし、周りからしても向いていると思われていたらしい。そして、クイズが思ったよりも楽しくなくなってきた。大学のクイズ界が向いていなかったのか、所属していたところが合わなかったのか、実力が足りなかったのか、何か「空気が違うなぁ」と思っていた。多分自分は同じくらいのレベルの仲間とワイワイ放課後教室でクイズをやって、みんなで頑張ってときたま大会に臨むような雰囲気が好きだったんだと思う。

今思えば自分のクイズレベルの低さが原因だったのだが、周りの環境を言い訳にして逃げていたような気がする。

そして、逃げた先に「記憶力競技」が燦然と待ち構えていた。

 

ライバルが多く、実力がなかなか伸びないクイズ。

ライバルが少なく、実力がぐんぐん伸びている記憶力競技。

 

飽き性ですぐ目に見える結果を欲しがる自分がどちらを選ぶかは明白だった。

 

この時僕が望んでいたのは「日本一になるということ」だった。

きっと日本一になれれば何でもよかったのだ。クイズや記憶は日本一になるための手段に過ぎなかった。もちろん最低限興味が無いと始めようとは思わないが、軸足をクイズから記憶に移したきっかけは「日本一になれる確率が高いかどうか」だったんだろう。そんなしょぼくれた動機でクイズからはフェードアウトしていった。

 

代わりに記憶力競技を本格的に始めるようになった。

しかし「本格的に」と言っても定期的に集まるコミュニティもライバルもほぼ皆無だったので、家での練習頻度を週2-3回くらいに増やしただけだ。

この頃、8月に初めて大会に参加することを決めた。初大会は香港だった。日本ランキングに反映されるということで気合いが入ったのを覚えている。

 

本格的に競技を始めるようになってからはさらに記録が伸びていった。8月の大会まで気持ち良いほど伸びた。ゼロからのスタートだったので伸びるのは当たり前なのだが。

大会直前には大阪まで日帰りで練習会に参加しに行った。今では信じられないかもしれないが、当時は関西の方がプレイヤーが集まりやすかったのだ。ここでトランプ52枚を2分で覚え、顔と名前もほぼ日本記録を出した気がする。

8月の大会で日本一になるのは無理だけど、ゆくゆくは日本一になれそうだな、と感じていた。

 

8月、初めて大会に参加した。学校の行事以外で海外に行くのは初めてだったし、出会う海外選手たちとはもちろん初対面だった。この時、色んな選手と仲良くなり、交流の幅を広げるのも楽しいなと思った。だけど根底にあるのは「日本ランキングで1つでも高い順位になること」だった。

 

確か結果は日本ランキング5位だったかと思う。初参加にしては上々だったようだが、あまり納得はいっていなかった。帰りの飛行機で早速新しいシステムの練習にとりかかっていた。記憶力競技はそのくらい楽しかった。

もう、次を見据えていた。

 

 

大学が楽しくて10月頃はほとんど練習しなかったが、12月からギアを上げて練習に取り組んでいた。照準を当てていたのは2月の奈良の日本選手権と、同じく2月の韓国大会だった。

 

奈良の日本選手権では3位以内になることを目指していた。この時日本では圧倒的に強い人が3人いて、彼らに自分がどこまで食いつけるかが勝負だった。

 

結果、準優勝に終わった。この時の準優勝は望外だった。優勝までの差は感じこそすれ、もう少しで突破できそうだなと思っていた。

競技歴10か月で日本2位という肩書きが妙に心地よかった。

しかし、この心地よさが後々苦しみに変わっていくことになる。

 

 

もう1つの韓国の大会で日本ランキング4位に上げた。順位は1つしか上げていないが、正直トップとスコアに大きな差は無かった。

 

この時期から、「次の大会では日本一を目指す・目指せる」と本気で思っていた。

そして同時に「日本一になれる実力が伴ってないと感じたら大会に出る意味がない」と思っていて、調整不足だと感じたらほとんど大会には出場していなかった。(そもそも大会数が極端に少ないという問題もあったが)

 

4月の東京フレンドリー大会では、日本人の中では1位になったが、まだ日本ランキングは3位だった。名乗ろうと思えば日本一を名乗れたが、ライバルたちが出場していなかったし、大会名に日本大会っぽさがなかったので、名乗らなかった。

 

もどかしさを感じていた。

「自分には日本一のスキルがあるはずなのに、それを証明する機会がない」

そう思っていた。当時日本一を証明するには、奈良の日本選手権で優勝するか、日本ランキングを1位に上げるしかなかった。

 

特に当時メディアで日本一と取り上げられるには奈良の日本選手権で勝つしかなかった。

だから、日本選手権で勝つことに誰よりも、何よりも固執していた。

 

 

この年(2017年)、出版甲子園というイベントに参加し、自分のスキルを出版物にしてもらうための活動を行っていた。出版社の前で自らをプレゼンし、目を付けてもらったところで出版するというイベントだった。

僕はこれに記憶力競技の普及活動の一環として参加していた。

この時言われた言葉が、心にざっくり刺さった。

「日本一じゃないと、売り出せないからねぇ」

 

このイベントでは優勝することができなかったが、ありがたいことに出版のオファーはいくつもいただいた。現在執筆しているところだ。

結果としては万々歳だが、あの一言がずっと心に残っていた。

日本一じゃないと意味がない。日本一じゃないとアイデンティティがない。

頭の中でこの思考がぐるぐる回っていた。

 

これを言われたのが2017年11月で、日本選手権は2018年2月に迫っていた。

 

この間の3か月が一番狂っていた。狂ったように練習していたし、日本一への執着心が狂っていた。

楽しかった記憶力競技も「日本一になるためのツール」になり下がり、今まで一喜一憂しなかった練習記録に対してもかなり敏感になっていた。

毎日「自分は日本一になれるんだろうか」と問い続けていた。この不安をかき消すには、練習するしかなかった。

記憶力競技人生で間違いなく一番練習した期間だった。

 

練習で良いスコアを出しても「日本一になるにはこれくらい当たり前」と思い、自己ベストを出しても「本番でこれと同じスコアを取らなくてはいけない」と思った。練習が、楽しくなかった。それでも、練習をするしかなかった。

周囲にも頼んで模擬問題を作ってもらった。これ以上対策しようがないと自分で思うほど練習を重ねた。

 

日本一にならなくては生きる意味がなくなるという不安、日本一になるための手段として記憶力競技しかないという閉塞感、夢を叶えるにはここしかチャンスがないという焦り、この混沌とした負の感情を打開する方法は、「2018年2月4日の日本選手権で優勝すること」しかなかった。

 

 

 

そして大会の4日前、身体を壊した。

 

 

高熱、吐き気、激しい頭痛。今まで経験した病気の中でもかなり上位の辛さだった。

食事は何も受け付けられず、動くことも何もかもできなくなっていた。

 

それでも始め病院に行こうとしなかった。インフルエンザだと診断されたら大会に行けなくなってしまうからだ。狂っていた。

悩んだ末、市販薬ではどうしても痛みに耐えられず、病院に行くことにした。もしインフルエンザと診断されても、周囲に黙って大会に行けばいいと思っていた。血を吐いてでも、地を這ってでも、命を削ってでも大会に出なければいけなかった。やっぱり狂っていた。

 

診断の結果、インフルエンザではなかった。良かった。いや、良くはなかった。大会には行けるが、身体の痛みは消えなかった。処方された薬でも、完治はしなかった。

原因はストレスだった、多分。心が壊れた結果、身体も壊れた。とても簡単なロジックだった。

 

結局、大会当日まで高熱も吐き気も頭痛も治らなかった。

いつもだったら、「病気を言い訳にできるから、少しホッとしたわ」と思ってしまう自分がいるのだが、今回ばかりは違った。何としてでも日本一にならなくてはいけなかった。

 

文字通り命を削って奈良に行った。何とかタクシーの運転手と会話できるくらいには回復していた。

 

2018年2月4日、日本選手権が始まった。

会場に着いて、選手たちが集まってくるのを確認した。「全員ぶっ潰して、日本一になる」しか考えていなかった。不思議にも競技中は痛みを何も感じなかった。

身体はぼろぼろで、神経はすり減っていた。極限までぴりついていた。

いつもは楽しい他選手との交流が、ただただ煩わしかった。日本選手権特有の緊張感もあいまって、参加している選手は全員がライバルで、敵で、倒さねばならない相手だった。彼らを倒さないと、自分の存在意義がなくなる。本気でそう信じていた。

 

 

結果、準優勝に終わった。

 

 

自分の順位も、優勝者も、もらえる賞品も、表彰ステージからの景色も、去年と全く同じだった。

だが、意味合いは全く違った。

 

昨年は望外の準優勝。今年は絶望の準優勝。

「平田さんなら絶対今年優勝できますよ」と1年間言われ続け、自分でも日本一のスキルがあると信じ続けていた眼前に強烈に立ちはだかる事実。結果が「お前は何も成長していない」と突きつけていた。

 

実際、スコアを見てみると、去年より優勝者と差があった。病気じゃなくて、自分が万全の状態で自己ベストを出し続けたとしても勝てない差だった。日本一だと信じていたのは、ただの思い上がりだった。優勝者も、競技も、完全に舐めていた。

 

 

その日の帰り道、東京に向かう新幹線の中で、記憶力競技を辞めることを決意した。

わんわん泣いて、競技人生を振り返って、満身創痍の中、下した決断だった。

 

記憶力競技を日本一になるための手段にしていたこと、その手段にすらならなかったこと、手段にしようとしていた自分への怒り、交流をシャットアウトして他の選手に迷惑をかけた自分への情けなさ、優勝への差が去年より広がっていた絶望感、色んなものがまぜこぜになって、「これ以上続けていてもしょうがないな」と思ってその決断を下した。

 

ただ、完全に競技から身を引くのではなく、指導者として続けて行こうと思っていた。その頃普及に力を入れていたし、出版も決まっていたし、少ないながらも自分の生徒がいたので。それに、日本準優勝まで伸ばしたスキルが無駄になるのはもったいないなと思っていたし。

 

 

普及をしていく中で、いかに今までの自分のスタンスが普及の妨げになっているかに気付かされた。

日本一を目指すことは何も悪くない。しかし、それに固執し続けて周りに迷惑をかけるのは完全に悪だった。

一度冷静になって、他の選手たちから指摘を受けて、競技から少しだけ引いた目線で見て初めてちゃんと気が付いた。

 

 

普及をするにも最低限の練習は続けてないといけないなと思っていたし、奈良以外の大会を完全にまだ諦めきれてもなかったので、細々と練習はしていた。その時に、ふと思ったことがある。

「5分で数字300桁を覚えられる景色を体感したい」

そう思った。日本一とか日本ランキングとかそういうものに一切とらわれず、練習の中でスッと湧き出てきた感情である。

当時日本では誰も5分で300桁を覚えられる人はいなかったし、トランプ52枚を30秒以内で覚えられる人もいなかった。でも、世界のトップ層にはごろごろいた。その景色を体感してみたいと心から思ったのだ。

別に、順位とかどうでもよくて、その早さをただただ感じてみたかった。純粋な好奇心だった。

 

そして、なんだか、その景色を見ずに辞めるのはもったいないと感じるようになった。

 

一度日本一を目指した身で、それなりのスキルを手に入れてきて、その景色を味わえる人間は数少なかった。それをのうのうと手放すのは色々と失礼な気がしたし、やっぱり何よりもったいなかった。

 

日本人の限界を決められるのは、日本一だけである。日本一になれば、自己ベストが日本記録だし、日本人はここまでできますよという証明を作り続けることができる。

 

日本一になりたいと思うよりかは、「日本人が誰も見たことのない景色を見てみたい」という気持ちになっていた。そして、それを叶えるために競技を続けることを決めた。

 

記憶力競技が手段ではなく目的に変わった瞬間だった。「戻った」と言っても良いかもしれない。

ようやくスタートラインに立てた気がした。覚えることがただただ楽しく、より多く覚えたいという純粋な成長欲求があった。練習もひたすらに楽しかったし、そのために新しい記憶術を作ったのもひたすらに楽しかった。自信を持って「記憶力競技は趣味です」と言えるようになっていた。

 

 

そして2か月後の4月、Japan Openという新設された日本大会で、優勝した。

堂々と日本一だと言えるようになった。

 

夢を叶えたが、そこまで大きな意味があったわけではなく、そこまで気負っていたわけでもなかった。たくさん覚えたいと思って、たくさん覚えて、その結果として日本一が付いてきただけだった。

 

「日本一」との距離感は、このくらいがちょうど良いんだと思う。

「記憶力競技」との距離感も、このくらいが良いんだと思う。

 

競技を楽しんで、もっと覚えたい、もっと強くなりたい、自己ベストを出したいと思って挑んだ先に、たまたま結果が付いてくるくらいでいい。それが日本一だったらラッキーだな、くらいがいい。

むしろ、そういうスタンスの方が上手くいく気がする。

 

この大会は特に楽しかった。自分が以前教えたことのある選手が活躍していて、楽しんでいたのを見て、嬉しかった。交流をメインで大会に行った節もあった。

 

 

その後、9月のフレンドリー大会でも優勝でき、先週あったJMLCでも優勝することができた。

振り返ってみれば今年は日本一を3回取ったことになる。

 

正直スコアとして見ればこの1年であんまり伸びてないとは思う。でも、競技に対するスタンスや、日本一としての誇り、追われる立場になったことなど、たくさんのことが変わったし、成長したはずだ。

日本一になってから、大会を重ねるごとに、プレッシャーは大きくなった。大会前に「優勝するよね」と言われることも増えた。でもこれをマイナスには捉えていなくて、期待してもらえるだけありがたいと思うし、それ以前に記憶力競技に注目してもらえている時点で大変ありがたい。

誰に何と思われていようが、どれだけ期待されていようが、自分が覚えたいだけ覚えるだけだし、大会でやることに変わりはない。何より自分が自分に一番期待している。

 

 

 

「資格や勉強のために記憶術を学びたいのですが、役に立ちますか?」とよく聞かれる。

役に立つのは間違いないんだけど、正直、そのモチベーションだと続かないとは思う。

記憶術を手段にするのは良いが、手段にするにしても、競技自体、覚えること自体に魅力を感じなければ、続けることはできない。だから、記憶術を「勉強に便利な道具」としか捉えていない人にとっては、あんまり意味はないと思う。

入り口は何であれ、必ずどこかで「記憶すること自体」を楽しまないと先に進めない時期が来ると思う。逆に、覚えることが楽しくて、続けていれば、「あぁ、こんな簡単に勉強に使えるのね」という時期がきっと来る。

だから本当は「勉強のために使いたい人」にも競技をやって欲しいと思っているし、そう誘導できるような普及方法を考えている。記憶術を学ぶためには競技が手っ取り早くて確実だと思うしね。

 

 

記憶力競技を始めるきっかけや、記憶術を学ぶ入り口は何でも良い。

「勉強で使いたい」「クイズの役に立ちそう」「簡単に日本一になれそう」「頭の良さを証明したい」別になんだっていい。それは個人の自由だし、周りが口出しすることじゃない。続ける理由も、大会に出る理由も人の数だけあっていい。

ただ、純粋に「記憶するのが楽しい」というマインドがどこかで生まれなければ、たくさん覚えることも、大会で勝つことも難しくなるということだけはアドバイスできる。

そして、その楽しさを伝える役目が僕にあると思っている。勝手にね。

日本一になって気付いた大事なことだと思うから、伝える使命があるんだと思う。まぁこれも勝手に思っているだけだけど。

 

 

 

ありがたいことに、Memory LeagueやTwitterなどのおかげで、記憶力競技の認知度や競技人口は少しずつ増えているように感じる。2年前より増えていることは断言できる。

普及のために、門戸を広げるというか、ハードルを低くすることは大切だと思う。実際そういう活動をしてくれている人は選手にもいるし、僕も閉鎖的にならないようなるべく心掛けている。

同時に、競技でトップを目指す人の指針にもなりたいと思うし、こちらも心掛けている。

当たり前だが、日本一である人の数は、初心者の人の数よりは少ない。プレイヤー全員が初心者向けの活動をすることが大切なんじゃなくて、初心者向けの活動をする人もいれば、ゴリゴリ競技で頑張りたい人向けの活動をする人もいるという状況が必要なんだと思う。後者の活動ができる人は今少ないと思うから、その役割は担いたい。もちろん初心者を蔑ろにする、という意味では全くない。

 

だから、現状日本一として、「こういうことを考えているよ」とか「こうすればもっと覚えられるよ」ということを伝えていきたいし、日本一を目指す人全員の目標でありたい。

「日本一になること」ってそういうことだと思う。目標であり続けることだし、「日本人の限界」であり続けることだと思う。そして、その限界を超えていくマインドを持つことだと思う。僕は日本人が見たことのない景色を見たい。その景色を伝えたい。その景色を見てみたいと思う人を増やしたい。これが、日本一であることの義務であり、権利だと思っている。

 

 

 

このブログのタイトルは「記憶力日本一を目指して」になっていて、当時の思想が色濃く反映されている。気付けば日本一になっていたわけだけど、あまり実感はない。

 

僕は、1年前の僕を否定しない。手放しで褒められるスタンスかと言われたらそうではないと思うけど、間違っていたとは思わない。そういう時期も必要だっただろう。

実際「何が何でも日本一になってやる」というバイタリティがないと、今の実力にはなっていなかったと思う。あの時期を経験したからこそ、分かることもたくさんあった。命を削って戦う気持ちが成長につながった。

それを踏まえた上で、もうあのスタンスに戻ることはないと思う。

 

次の大会で何位になりたい、とかあんまり思わない。次の日本選手権も、申し込みはしたけれど、まだ何も考えていない。昔は毎日日本ランキングのページを見ていたけど、今は全然見なくなった。自分が今世界ランキング何位で、日本ランキング何位なのかも知らない。Memory Leagueのランキングはちょいちょい見るけどね。

でもこれは、大会を甘く見ているとか、油断しているとかそういうことではない。「たくさん覚えたい」という情熱は常に持っているし、「記憶力競技を楽しんでいる気持ち」では日本一の自信がある。

 

 

 

 

僕は日本一であり続けたいと思う。

これは日本一への執着心ではなく、記憶力競技を日本一楽しむ人であり続けたいという決意だ。

そして、その楽しさを人に伝えたい。たくさんの人に広まって、その時初めて「記憶力日本一になったな」という実感を得るんだと思う。だから、まだまだ目指し続ける。

日本一であっても、日本一でなくても、記憶力競技は間違いなく僕のアイデンティティの一部だ。

 

もっとたくさんの人にとってのアイデンティティに、なりますように。

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